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大国主义和小国主义
送交者: 一枪中的 2025-07-10 01:14:51 于 [世界时事论坛]

姜克实

笔者的专业,是日本近代思想史。主要研究题目是日本近代化的教训。战前专制主义的日本,走大国之路,发动对外侵略战争,在东亚称霸,最终的结果是败战,明治维新成果付之一炬,310万军民丧生,剩下的只有4个岛,8千万没饭吃的人口。这是大国主义的教训,血的教训。战后,日本没有靠资源,领土,仅靠着民主,自由的新国家制度,和人的智慧,勤劳走小国之路,却实现了经济复兴和高度成长。

从明治开始,所有的日本人,包括政治家,经济家,媒体和民众,都认定一条路,就是只有走大国才能拯救“国土狭小,资源贫乏,人口过剩”的东洋小国日本。甲午战争即是其迈出的通向“胜利”的第一步。阔步五洲,雄飞四海之帝国主义野望,诱导者日清战争发迹的大国日本逐渐走向灭亡的深渊。


笔者的最后一著

当时敢出来反对帝国主义,主张放弃殖民地,提出小国主义经济,政治理念的人,即是笔者研究的石桥湛山。战前是经济评论家,战后进入政界,成为自由民主党第二代总裁,也担任过三个月的首相(因病隐退)。此人不和群伙,不组派阀,专著理念,政策,不管在战前,战后,都是少数派,也是一位为了打破冷战时代意识形态对立的,亲共产圈的政治家,不是亲共主义者,而是寻找打破冷战的第三种生活原理(非东非西的,普世价值)。他还是一位著有全集16卷的知识人,思想家,学者。


战后的石桥湛山

战前为稀少的少数派思想家,战后又称为最孤独,最清白的总理大臣,一生和权贵,派阀无缘的石桥湛山,在经济,政治进入困难时期的今天,在经济理论,国际政治,媒体等面逐渐受到世人的瞩目,青睐。最近最受媒体注目的组织,是国会内部的,超党派石桥湛山研究会的存在。任意性的研究组织,会费自缴,各党派的议员,阁僚,不管主见,立场,派别不同,定期参会。今年初,石破茂首相百忙中也临席参会,一时成为媒体的热门话题。

本年6月2日,笔者作为讲师,被邀请赴会(第十二次)作基调报告,在众议院会馆的大会议室,进行了约一小时的报告,之后与议员参加者进行的30分钟的讨论。当日的参会者,有现役外务大臣,防卫大臣,各党派负责人,阁僚经验者等4-50人参会。以下是講演结束后、登台向笔者致意时收获的名片。小山议员是研究会干事,这次会的组织者,其余者,从名片也可知,都是现在的政界名人。其对石桥湛山的关注度,使笔者也备感惊讶。若早知道是这种场合,也许不会穿着那件,领口已脱线的旧上装。


報告後、これらの方々が壇上にあがり、筆者に挨拶および名刺交換。


講演要約は2週間後にこの雑誌に載せられた。

以下は、是講演録的全文(校正原稿),若能读懂,也可知道笔者现在为何要研究战史。

姜克實先生講演録/月刊日本

石橋湛山が後世に残した課題

■様々な石橋湛山像

今日は石橋湛山の思想哲学についてお話ししたいと思います。まず石橋の思想特徴をあげると、88歳という長寿であり、明治?大正?昭和の三つの時代にまたがって幅広い言論活動を行ったので、様々な顔があります。明治末や大正のはじめ、文芸批評が中心であり、その後、東洋経済新報社の記者として経済を論じ、戦後では、政治や外交に関しても様々な提言を行っていました。

国際政治面で小国主義を掲げ、帝国主義を批判し、経済面ではケインズ主義を中心とした積極財政を提唱し、資本主義の救済、恐慌からの脱出方法を模索していました。思想面では自由放任を克服すべく、自律ある個人主義や新自由主義、湛山の言葉を使えば「正しき」個人主義を唱えました。また、言論人として、特に戦時下で思想や言論の自由を主張し、いかなる弾圧にも屈しない姿勢を貫きました。

戦後において石橋は政界に進出し、党派より、政策や理念、信念を重んじ、超党派で活動しました。信念や主張さえ合えば、相手が誰であろうと快く迎え入れてともに活動しました。また、16巻の全集を残していますが、これほどの学識を持つ政治家はほかにいません。さらに金権政治や世襲政治とも無縁で、クリーンなイメージがあり、モラルの面でも今の政治家の手本となっています。

一方、蘊蓄のある多様な発言に対し、単方向のアプローチでその思想像を捉えにくい面があります。たとえば、石橋は戦前に植民地放棄論を唱えていましたが、その動機に問題視し、利己的経済合理主義ではないか、との批判があります。また、石橋を急進的自由主義と評価する人たちは、言葉表面の変化に気が取られ、戦時中では彼が主張をまげ、戦争に協力していたのではないかとの批判もあります。

あるいは、戦前の急進的自由主義者の石橋は、なぜ戦後では保守党の政治家になったか、同様に、戦前の親英米派のリベラリストは、冷戦下でなぜ、反米のナショナリストに変わったか、とその変化に困惑する人もいます。軍備に対しても戦前では、軍備縮小論を唱えていましたが、自由党に入ってから、独立自主の立場で再軍備を主張し、晩年になるとまた軍備全廃論を掲げるようになったので、無節操ではないかという見方もされています。最近、若手の研究者の中には、石橋を愛国主義者、ナショナリストと見なす人までいます。

このように、論者の関心やアプローチによって石橋像は大きく異なります。果たして石橋は変節したのか、各時代、各分野に貫く思想はないのか――。これは私が早稲田大学に留学し、石橋研究を進める中で抱いた問題意識でありました。

■「欲望統整」の哲学

私は、思想哲学の面を掘り下げ、バラバラな湛山像を一つの思想体系のもとで把握しようと考えました。その結果として、石橋の思想中心にある「欲望統整(統制)」の哲学を提起したのです。石橋の個人主義は、自我を本位としながらも、社会生活の機能を重視し、社会の共同生活を通じて相対的に自我の実現を求めていく特徴がありました。これはもともと恩師である哲学者田中王堂の理論でもあります。

田中はアメリカから、プラグマティズムを持ち帰った最初の学者であり、シカコ大学でジョン?デューイのもとで学んでいました。シカコ学派のプラグマティズムは、ハーバードの哲学者J.ウイリアムズの機能心理学に源とし、社会生活の機能論を重視するものでありました。石橋も田中の影響を受け、権利、道義ではなく、社会生活の機能に価値基準を置いていました。

この哲学から解釈すると、石橋は決して急進、あるいは保守主義ではなく、いつも中庸の立場で時代と社会の偏りを是正しようと努力しています。天皇制的専制主義が幅を利かせる戦前では、個人と自由の価値を主張し、国民の自由と権利が叫ばれた戦後の思潮に対し、逆に復刻建設に対する国民義務を強調しました。決して石橋の思想が変わったのではなく、社会と政治の偏りは、社会生活の邌婴瞬瞍分Гà猡郡椁筏靠激à嘶扭猡韦扦埂

このように「欲望統整」という哲学の視点から、石橋の主張を立体的に見えます。

政治面では修正資本主義。石橋は資本主義を擁護しながら、自由放任の是正を主張し、また恐慌時に際して、個人の自由を侵害する全体主義(ファシズムと共産主義)へお傾斜を警戒し、国家の介入による資本主義の救済を唱えました。

政治面では、国家の帝国主義的欲望の統制を主張し、その現れは小日本主義の立場であり、植民地の放棄と帝国主義批判、戦争反対の主張でした。世界戦争を抑制するため、一次大戦後、石橋は国際連盟による国家関係の調整や規制の役割を重視し、この姿勢は戦後になっても変わりませんでした。

経済面では、国家欲望の外延的発展(侵略)の代わりに内在的努力による人中心の国内生産力発展論を主張しました。領土や資源よりも「人資」が重要であり、人資を最大限に開発して有効に利用すれば、小国の日本も悠々と生きられると考えていました。またその媒介と保障は、世界経済と自由貿易であり、戦前から戦後、石橋の一貫してそれを主張し続け、戦時下においても世界経済論をもって全体主義のブロック経済、地域共同体を批判し続けた。この世界経済論の根底には、小国主義、欲望統制の哲学があり、また必然として、その立場は、国家主義、民族主義ではなく、国際主義、世界主義でした。

■日本の近代化と冷戦解消

石橋は生涯にわたって二つの重大な命題に取り組んできました。その一は、近代化に際しては、如何に“領土狭小、資源貧乏、人口過剰”という命題を解決するか、です。近代化を歩みだした日本の前には、まずこの命題が横たわってしました。日本は西洋のように植民地も資源もなく、おまけに4000万の人口を抱えていました。この命題を解決しないと、日本の近代化を成し遂げません。外に膨張して領土、権益を獲得する大国主義の方法で対応するか、過剰と言われる人の頭脳と国内生産力の発展によって領土、資源のハンディを埋めるか、2つの選択肢がありました。

この時期の日本政府と国民は、第一の方法を選び、大国主義、帝国主義の方法によって、命題の解決に試みたが、その結果は日清戦争から始まる近代の侵略戦争であり、また1945年8月の日本の敗戦でした。日本はすべての植民地を失い、残ったのは4つの島とは8千万の飢餓に苦しむ人口でした。大国主義は日本を滅ぼす、これは歴史の教訓、また血の教訓でした。

国家と国民の選択に対して、石橋は明治末から小国主義の立国方法を、一貫して訴えてきましたが、残念なことは、マイノリティーであり、戦前において影響力が殆どありませんでした。しかし、この主張と理念は決して間違いではなく、小国主義こそ日本と日本人の生き方であることは、戦後の経済復興と発展によって見事に立証されました。明治時代から主張し続けてきた石橋の小国主義の先見性には、驚くべきものがあります。

第二の命題は、冷戦の解消です。1947年に冷戦が始まり、世界は資本主義陣営と社会主義陣営に分断されました。

冷戦を如何に対処するかの命題に、やはり二つの選択肢がありました。一つは、東西陣営のどちらかに加担し、覇権競争を繰り広げ、力で相手を封じ込め、打ち負かすことです。実際、日本は西側陣営に加わり、東側陣営と対決するこの方法を選びました。

もう一つは、イデオロギーにとらわれず、社会の安定や人間の幸福を求めて冷戦の解消を目指すことです。石橋はこの道を選択しました。社会主義ではなく、資本主義でもない第三の生活原理を求め、1950年代から共産圏との関係修復を働きかけ、政界を引退したあとも日中米ソ平和同盟構想を推し進めました。

この立場も当時としてはやはりマイノリティーであり、年老いた石橋は孤独な取り組みを続けましたが、その理念の一部がようやく1972年に日中国交正常化という形で実現します。これを見届けたあと、石橋はこの世を去りましたが、1990年代前後の国際情勢の変化を見れば、時代をやはり時代を超え先見性を認めなければなりません。

■後世に残された課題

一方、現在の国際情勢を見ればわかるように、この第二の命題は、決して完全に解決したとは言えません。これも石橋なくなる前予測し、後輩の私たちに一つの大きな課題を残しました。それはナショナリズムの超克です。

晩年の石橋は次のように指摘しています(『湛山座談』岩波書店)。

「僕が一番おそれ心配しているのは、民族主義、ナショナリズムなんです。これのほうがかえってこわいですね。ナショナリズムはなくなりません。帝国主義は、なるほど理屈で考えればああなるだろうけれども、あんなものは、たんなる議論、理屈だし、実際においても資本家とか一部の人間のいわば理屈みたいなものでもって成り立っている。つまり、そこには人間の感情というようなものが入っていない。ところが、ナショナリズムのほうは民肖胃星椁扦工椤ⅳà盲皮长铯い人激Α#ìF代の国際紛争は)結局ナショナリズムが原因だという気がする。」

いまでこそナショナリズムの危険性は広く共有されていますが、半世紀も前にこうした警告を発したことは、やはり石橋の先見性が感じられます。

私は2014年に『石橋湛山』(吉川弘文館)という本を出版しましたが、結論として、石橋が残したこの課題を強調しました。その後自らも、この課題の解決に取り組みべく、ナショナリズムの研究に移り、今に至っております。背景には中国の大国化(崛起)とナショナリズムの高揚への警戒がありました。

2014年は日清戦争120年の節目の年であり、中国では大国主義ブームが巻き起こります。日清戦争を大国主義の教訓として認識せず、120年前の日本を取って代わり、自分たちがアジアの覇権を握ったことを、国と民族の誇りとして世界誇示するようになったのです。

このころ、私は中国で開催された日清戦争のシンポジウムに参加し、石橋の小国主義について話し、大国主義の危険を戒めたが、話が終るや否や、ある学者が歩み寄り、中共党員と第一行に書かれた名刺をわたし、「国大必覇」(大国になれば、必ず覇権をとる)と自慢げに話しまた。「今のご時勢、何が小国主義か?」といった感じです。

こういう状況ですから、中国では石橋も小国主義もまったく人気がありません。中国の出版社から日本の総理大臣に関する評伝や翻訳書などがいくつか出されており、小泉純一郎総理や安倍晋三総理の本も数冊ありますが、石橋の本は一冊もありません。一度私のところに『石橋湛山』の著書を中国語に翻訳するという話がありましたが、結局頓挫してしまいます。

■愛国教育の危険性

ナショナリズムを仱暝饯à毪郡幛摔稀ⅳ饯翁貜栅趣饯涡纬蛇^程を知る必要があります。ナショナリズムは大谢嗡汲堡扦ⅳ辍⑦動の先頭に立っているのは、いつも若者たちです。しかし、彼らは愛国、愛国と叫びながら、その概念と形成過程をほとんど理解していません。

愛国は生まれつきのものではなく、ほとんど学校教育で育てられたものです。しかし、国家の誘導、と教育干渉によって、教育の段階で歪みが発生します。家庭教育、通俗道徳で自然に育てられた素朴な愛、いわば人間愛や隣人愛、郷土、文化の誇りが、教育をつうじて政権愛、領土意識、指導者に対する忠栅藟滟|してしまうのです。

こうした忠君愛国の若者を育つため、戦前日本の教科書に戦争と「軍神」話がよく登場するが、同じように、現在中国の国定教科書には、「英雄」と「大捷」話が溢れています。歪んだ愛国と戦勝の誇りだけではなく、怨恨の感情も愛の対象とともに、徹底的に若者の思想にたたき込みます。つまり、近代の戦争は、若者のナショナリズムを育つための基本テキストであり、愛国主義教育のために利用されています。

しかし、教科書の内容は果たして真実であるか?私は代表格の英雄話を一一調べて来ましたが、ほとんど真実とかけ離れた神話です。特に共産党軍隊の大捷にまつわる統計数字の面、平均して10-30倍の水増しがあります。例えば先次の大戦において日本の軍人軍属は約230万が戦没しているが、その3/4以上は、米軍との闘いの犠牲者です。残りやく40万人ほど、八年の日中戦争で大陸でなくなったのですが、その8割以上も国民党の手柄で、共産軍の戦果はその二割も足しません。なのに、国定教科書の中で、抗日戦争の“中流砥柱”(支柱)は共産党であり、日本軍52.7万人共産党によって消滅されていると、書かれています。こうした事実の歪曲と教育利用は、歴史研究者として許し難い行為です。

■若い人たちへのメッセージ

以上のような、長年にわたる教育は、ナショナリズムの社会基盤を作り出したと同時に、二つの悪影響を齎しています。一つは尚武意識、台湾の武力解放論も一つの現れです。共産党の軍隊は世界一強いであり、絶対に負けないと思い込んでいます。

もう一つは、侵略民族論の日本認知です。怨恨教育を通じて若者に日本軍の残忍を感情的にたたき込む結果、戦争の責任は日本国家にあるのではなく、日本の民族性にあるのではないかと見るようになります。一般的若者だけではなく、私が接触した大学院生のレベルでも、修士論文のテーマに日本の民族性論を取り上げる人が複数います。

こしたナショナリズムの思想傾向に少しでも警鐘を鳴らすため、私は戦争神話についての多くの実証研究を、中国語で書きましたが、ネットで封じ込められ、大陸での出版も許されません。

最後に若い人へのメッセージで私の話を締めくくりたいと思います。あなた達の愛国意識は、どのように生まれたか。自然と育った素朴な人間愛や郷土愛なのか、学校教育によってたたき込まれた政権愛、指導者への忠栅胜韦¥蓼俊⒔炭茣擞洡丹欷皮い虢鷳檎文谌荬聦gかどうか。さらに、覇権や軍備の拡張にどんな代価が払われるか。戦争の悲惨と非人道性を考えたことはないか。これらについて、国の教え、教育の教えではなく、一人の個人として考えなければならないです。

確かに中国と日本の間には過去に戦争がありましたが、今になってもはや歴史の怨恨を継承する必要はありません。将来に向けて生きるため、ナショナリズムを仱暝饯à坪徒猡工氡匾ⅳ辘蓼埂¥长欷长剿饯瘶蛘可饯檠Г螭坤长趣ⅳ辍ⅳ饯螌g現のためこれからも努力を続けていきます。

(構成 中村友哉) *本稿は6月2日に行われた超党派石橋湛山研究会における報告を再構成したものです。

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